車折神社
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車折神社 | |
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所在地 | 京都府京都市右京区嵯峨朝日町23 |
位置 | -- |
主祭神 | 清原頼業公 |
社格等 | 村社 |
創建 | -- |
本殿の様式 | -- |
例祭 | 5月14日 |
主な神事 | 三船祭 |
車折神社(くるまざきじんじゃ)は、京都市右京区嵯峨にある神社である。社名は「車裂」「車前」とも書いた。旧社格は村社で、現在は単立神社。
目次 |
[編集] 祭神
祭神は清原頼業(きよはらのよりなり)である。頼業は、学問で有名な清原氏の出であり、自身も平安時代後期の著名な漢学者・儒学者であった。大外記の職を長年務め、晩年には九条兼実より政治の諮問を受け、兼実から「その才、神といふべく尊ぶべし」と評された。
[編集] 歴史
頼業が文治5年(1189年)に亡くなると、清原家の領地であった現在の鎮座地に廟が設けられた。後に、頼業の法名に因んだ「宝寿院」という寺が建立され、後に天龍寺の末寺となった。
社名の「車折」については、ある人が牛車に乗ったまま社前を通った所、突然車が裂けてしまったためとも、後嵯峨天皇の大堰川遊幸の際、社前で突然車が前に進まなくなったので、不思議に思って社の者に問うた所、頼業公を祀ると答えがあったので、還御の後に「車折大明神」の神号と正一位の神階を贈ったためともいう。
[編集] 文化財
頼業の筆によると伝えられる「三略」が重要美術品に指定されている。
画家・富岡鉄斎が一時当社の宮司を務めていた関係から、鉄斎の作品が多数伝わっており、「車軒文庫」として管理されている。また、社名標や本殿の扁額は鉄斎の筆によるものである。
[編集] 境内社
境内社に天宇受売命を祀る芸能神社(げいのうじんじゃ)があり、芸能・芸術の分野で活動する人々より強い崇敬を受けている。
[編集] 祭事
例祭は5月14日で、その延長神事として5月第3日曜日に「三船祭」が行われる。昭和天皇即位を記念して昭和3年より催行されているもので、嵐山の大堰川にて平安時代の船遊びが再現される。
[編集] 外部リンク
- 車折神社(公式サイト)
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