赤間神宮
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赤間神宮 | |
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赤間神宮の鳥居 |
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所在地 | 山口県下関市阿弥陀寺町4-1 |
位置 | -- |
主祭神 | 安徳天皇 |
社格等 | 官幣大社・別表神社 |
創建 | 1191年 |
本殿の様式 | -- |
例祭 | |
主な神事 | -- |
赤間神宮(あかまじんぐう)は、山口県下関市にある神社。幼くして亡くなった安徳天皇が祀られている。元来は寺院であり、神仏分離以前は阿弥陀寺といった。「耳なし芳一」の舞台であり、平家一門を祀る塚があることでも有名。
目次 |
[編集] 祭神
- 安徳天皇
80代安徳天皇・言仁(ときひと)は、高倉天皇と平徳子(建礼門院)の皇子で、平清盛の孫にあたる。そのため、平清盛ら平氏が外戚として権力を振るうことができた。源平合戦の際に、平氏とともに都落ちして西国に赴き、壇ノ浦の戦いにおいて、入水した。
一部には、実は逃れることに成功し生き残っていたという伝承が伝えられている地域もある。また後の世には、安徳天皇は福岡県久留米市の水天宮の祭神とされ、水神・安産の神として信仰されるようにもなった。
[編集] 由緒
1185年(文治1年)の壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇は、御裳川で遺体が引き上げられ、赤間関(=下関)の紅石山の山麓の阿弥陀寺境内に埋葬されたと伝わる。その後1191年(建久2年)に勅命により御陵に御影堂が建てられたのが始まりという。当初は建礼門院ゆかりの尼が奉仕した。以後、勅願寺として崇敬を受けた。
[編集] 神仏分離
明治の神仏分離政策により、阿弥陀寺は廃され、神社とし安徳天皇社になった。また、歴代天皇陵の比定が進む中、安徳天皇陵も多くの伝承地の中からこの安徳天皇社の境内のものが阿弥陀寺陵として公式に定められた。1875年(明治8年)には赤間宮に改称し、官幣中社に列格した。1940年(昭和15年)には官幣大社に列格し赤間神宮となった。
[編集] 境内
- 安徳天皇阿弥陀寺陵(あみだじのみささぎ)
- 七盛塚
- 壇ノ浦の戦いで敗れた平氏らの合祀墓
- 芳一堂
- 「耳なし芳一」を祀り、芳一の木像を安置する。
[編集] 歴史
- 1185年(寿永4年):安徳天皇が、二位ノ尼に抱かれて入水。赤間関紅石山麓阿弥陀寺境内に奉葬される。
- 1191年(建久2年):朝廷が、御影堂を建立
- 1875年(明治8年)10月7日:官幣中社赤間宮の宣下(ここで寺から神社に)
- 1940年(昭和15年)8月1日:神宮号宣下(赤間宮から赤間神宮に改称)
- 第二次大戦により、社殿焼失
- 1965年(昭和40年)4月:新社殿完成。現在に至る
[編集] 年中行事
- 3月上旬 平家雛流し神事
- 5月2~4日 先帝祭:安徳天皇の命日に行われる。豪華絢爛な外八文字道中の他、源平合戦などが行われる
- 7月15日 耳なし芳一琵琶供養祭
- 10月中旬 うに供養祭
- 12月10日 しめなわ祭
[編集] 交通
- 中国自動車道下関ICから国道9号方面へ向かって2km
- JR下関駅からバスで10分
[編集] 耳なし芳一
「耳なし芳一」を参照。