赤城徳彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
生年月日 | 昭和34年(1959)4月18日 |
---|---|
出生地 | 高知県高知市 |
出身校 | 東京大学法学部法律学科卒業 |
学位・資格 | 法学士(東京大学) |
前職・院外役職(現在) | 農林水産省職員 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
|
世襲の有無 | 2世 祖父・赤城宗徳(元防衛庁長官) |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
茨城1区 |
当選回数 | 6回 |
所属党派(現在) | 自由民主党(高村派) |
党役職(現在) | 茨城県第一選挙区支部長 |
会館部屋番号 | 衆・第一議員会館206号室 |
ウェブサイト | 衆議院議員・あかぎ徳彦 |
赤城 徳彦(あかぎ のりひこ、1959年4月18日 - )は、元官僚の政治家。自由民主党、番町政策研究所(旧名称:新政策研究会、通称:河本派~高村派)所属の代議士6期目。座右の銘は「政治家は一本のろうそくたれ」。学歴は東京大学法学部法律学科卒業。学位は法学士(東京大学)。
[編集] 概要
- 1983年(昭和58)東京大学法学部卒業。同年農林水産省へ入省。林野庁林政部、大臣官房企画官等を経て退官。祖父赤城宗徳の後を受け、1990年(平成2)2月の総選挙で旧茨城3区から立候補以来6連続当選。以後、政府では総務政務次官、防衛副長官などを歴任。
1994年(平成6)6月29日に行なわれた総理大臣指名選挙では、自民党は新党さきがけと共に日本社会党委員長村山富市支持したが、赤城や山本有二、野田聖子は党議に反し、新生党代表幹事小沢一郎に担がれた、派閥の大先輩でもある海部俊樹を支持。海部は翌日離党し自由改革連合代表~新進党初代党首となるが、赤城や野田らは自民党に残留した。2003年(平成15)の自由民主党総裁選挙では、野田と山本、赤城らは番町研会長の高村正彦の推薦人となる。