諸葛玄
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諸葛玄(しょかつげん 生年不詳 - 199年)は、琅邪郡に古くから住む一族、諸葛氏の出身で諸葛珪の弟。 諸葛瑾、諸葛亮、諸葛均は甥にあたる。一族の酋長的存在でもあった。
兄の諸葛珪が急死したためまだ幼かった兄の子、亮・均を引き取り育てるが、この頃、漢朝を無視し自ら天子を名乗る袁術に豫章太守の任を命ぜられる。
実直な諸葛玄はその命に応じるが漢朝がそれを許す筈も無く、太守には朱皓(朱儁の子)を任じて劉繇に朱皓の支援を命じる。案の定、諸葛玄は板挟みにあい、遂には兵を用いた争いにまで発展する。結果、諸葛玄は敗走し、逃亡先で住民反乱に巻き込まれ、戦死した。
献帝春秋では、豫章太守であった周術が病没したため、劉表より太守に任ぜられている。