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許儀(きょぎ、生年不詳-263年)は、三国時代の魏の武将。許褚の子、許綜の父。父と同じく魏に仕えて牟郷侯を相続した。
263年、司馬昭の命により蜀に対する侵攻が始まると、許儀は鍾会の軍に従って参戦した。このとき、鍾会の命により橋の架橋を命じられたが、鍾会が橋を渡ろうとしたとき、乗っている馬の脚がとられて鍾会は落馬した。これが橋の不備によるものだと怒った鍾会は、許儀を殺害してしまったのである。このとき、周囲の面々が鍾会に対して、許儀は許褚の子であるから命だけは助けるべきと嘆願したが、鍾会は受け入れなかったと言う。