西施
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西施(せいし)は中国の有名な美女(中国古代四大美女)、諱は夷光。紀元前5世紀頃(春秋時代末期)の人。現在の浙江省紹興の近辺生まれ。
越王勾践、呉王夫差の呉越の争いの際に越王勾践の参謀である范蠡の戦略に従い、呉王夫差の女となる。その結果夫差は骨抜きになり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。
浙江省杭州市の中心にある西湖(西子湖とも)は西施のように美しい湖の意味をこめて西の字をあてている。
松尾芭蕉が「奥の細道」で「象潟や雨に西施がねぶの花(きさがたや あめにせいしが ねぶのはな)」と詠んだ。
[編集] 顰に倣う(ひそみにならう)
西施には胸が痛む持病があったという。ある日、その発作が起きた。彼女が胸元を押さえ、顰(眉間)にしわを寄せた姿にはなんともなまめかしく、か弱い女性の美しさがにじみ出ていた。彼女が里から歩いて来るその様に、里の人たちは皆目が釘付けになった。 ある里に一人の醜い女がいた。この日、西施が胸元を押さえ、眉をひそめた様子にたくさんの人が釘付けになっているのを見た女は、西施のまねをして、胸元を押さえ、眉をひそめて、村を行ったり来たりした。この醜い女が大げさにふるまうとただでさえ醜い顔がもっとひどくなった。そのため、この女の奇怪な様を見ると里の人々は、すぐに戸を閉め、貧乏人は妻や子を連れて遠くに逃げるといった具合であった。 このことが顰に倣う(ひそみにならう)、むやみに人のまねをするのは愚かなことという故事になった。