藤原継縄
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藤原 継縄(ふじわら の つぐただ、神亀4年(727年) - 延暦15年7月16日(796年8月27日))は、奈良時代後期から平安時代初頭の公卿(桓武朝の右大臣)。藤原南家の藤原豊成の次男。母は路(みち)虫麻呂の娘。夫人に百済王明信(敬福の孫か)と大伴旅人の娘(留女之女郎、側室)がいる。子に藤原乙叡、藤原真葛がいる。
763年(天平宝字7年)従五位下となり、信濃守・越前守を経て766年(天平神護2年)に参議、771年(宝亀2年)従三位に昇任した。その後、中納言・大納言を経て、更に中務卿と左京大夫を兼ねる。790年(延暦9年)右大臣にのぼり、皇太子傅・中衛大将を兼ねた。桓武天皇からの個人的信頼が厚かった政治家の一人であり、794年(延暦13年)の平安京遷都に深く関わったとする説もある。『日本後紀』の薨伝によれば、凡庸な人物であるが人柄はよかったという。『続日本紀』の編纂者として挙げられているが、実際に関与した部分は少なかったと見られている。没後に従一位が贈られた。