苅部俊二
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苅部俊二(かるべ しゅんじ、1969年5月8日 - )は、日本の体育学者。法政大学文学部助教授。
1990年代を代表する陸上競技者として活躍。世界室内選手権400mで銅メダルを獲得するなど、世界を相手にすばらしいパフォーマンスを披露した。元400mハードル日本記録保持者。
横浜市立南高等学校、法政大学卒業。大学卒業後は富士通に就職。のち契約社員となり筑波大学大学院に学ぶ。筑波大学大学院修士課程修了。1989年、ユニバーシアードに出場。1991年、東京世界選手権に出場。また、ユニバーシアードにも出場。1993年、シュツットガルト世界選手権出場。また、東アジア大会にも出場した。1994年、広島アジア大会に出場。1995年イエーテボリ世界選手権出場。1996年、世界室内選手権出場。また、アトランタオリンピックに出場。マイルリレーで入賞の快挙を成し遂げる。1997年、アテネ世界選手権出場。東アジア大会にも出場した。1998年、バンコクアジア大会出場。1999年、セビリア世界選手権出場。2000年、シドニーオリンピック出場。2001年、法政大学専任講師に就任。現在は助教授。法政大学陸上競技部監督をつとめる。
名文家としても有名で、『月刊陸上競技』誌上で「苅部俊二のいいたい放題」というエッセイを連載していたこともある。電脳派としても有名で、早くからホームページを運営するなど、陸上界の情報公開に積極的に参画。ネット上では「かる」の名称を用いる。長い距離を走りこむ独自の練習法で世界と互角に渡り合った。テレビレポーターとしても知られ、TBSなどで活躍している。2001年のエドモントン世界選手権では、東海大学陸上競技部OBの高橋照英(芸名・照英)とともにサブトラックのリポーターを務めた。また、俳優の織田裕二、フリーアナウンサーの中井美穂、川平慈英、矢田亜希子らととも競演した。2002年のプサンアジア大会でもTBSの解説者として登場。ディスクジョッキーの赤坂泰彦との軽妙なトークでお茶の間の人気をつかんだ。
横浜市立南高等学校時代、全国選抜合宿で、深夜に走り高跳びの吉田孝久(のちにミズノ)とともにホテルを脱走し、お好み焼きを食べに行ったことがあるという。1次コール廃止論者としても名高い。1990年代中ごろから、一貫して廃止を主張してきた。しかし、現在でも1次コールは残されている。甲南大学で教鞭をとる伊東浩司とは同期で、のちに富士通でチームメイトになった。沖縄が好きで現役時代はよく合宿していた。法政大学陸上競技部監督としては、部員に過酷な練習を課すことで知られる。苅部の課す練習は、通称「かる練」と呼ばれる。また、正真正銘のイケメンであり、いまだに人気が高い。法政大学での一般学生を対象にした体育学の授業は超人気であるという。