苅谷俊介
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苅谷 俊介(かりや しゅんすけ、1946年11月26日 - )は、日本の俳優、考古学者。
元々映画の助監督として業界入りしたが、1970年に役者に転向。映画「さらば掟」でデビューする。その後石原プロ所属となり、石原軍団の一人として活躍。
県立大分工業高校在学中に、学校の近所の発掘現場に通ったことがきっかけで考古学に興味を持つ。 俳優となり考古学からは一時遠ざかっていたが、石原プロの社長である石原裕次郎の新居建設現場から多数の土器が出土した事がきっかけで再び考古学への情熱が再燃し、石原プロの2代目社長で俳優でもある渡哲也に事情を説明して所属していた石原プロを円満退社する(「考古学研究のため。」とはどうしても言えなかったため、表向きの名目はあくまで「独立して俳優をやりたい。」ということであった)。その後俳優活動の傍ら、考古学の研究を続けている。
また、石原プロに所属している舘ひろしとは、現在でも公私ともに仲が良い事で有名。石原プロを退社する苅谷に対し、「当面食べていくための金が要るだろうから。」という理由から、舘が知り合いのレコード会社に頼んで苅谷を「倭(やまと)しうるわし」というタイトルの曲で歌手デビューさせ、その印税で生活出来るように取り計らったというエピソードが、苅谷の著書「土と役者と考古学」中で語られている。
[編集] 主な出演作品
- 仁義の墓場(1975年)
- 大都会 PARTII(宮本刑事)
- 大都会 PARTIII(宮本刑事)
- 西部警察(源田刑事)
- あぶない刑事シリーズ
- 3度出演している。あぶない刑事 第12話 野島役、もっとあぶない刑事 第20話 橘役、映画もっともあぶない刑事 結城役。