臧覇
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臧覇(ぞうは、165年?-?)は、中国三国時代魏の武将。字は宣高。子は臧艾・臧舜・他二名。
泰山郡華県の人。幼少の頃から勇猛で剛毅であった。その逸話として、県の役人であった父・臧戒が太守の不正を正そうと諫言したとき、逆に太守の怒りを買って逮捕されてしまったが、このとき臧覇は父親をわずかな人数で奪い返したうえ、太守を倒して亡命しているというエピソードがある。
その後、その勇猛さを認められて陶謙の家臣となる。陶謙死後は呂布の家臣となって活躍するが、一時同僚と些細なことから喧嘩してしまい、呂布の怒りを買ったこともある。198年に呂布が曹操に攻められたとき、臧覇は呂布とは別の地域で曹操軍と戦っていたが、呂布が曹操に捕らえられて処刑され、張遼も曹操に降ったことを知ると、もはやこれまでと曹操に降伏した。
曹操にもその勇猛さを認められ、徐州や青州平定戦、呉討伐などで活躍した。没年はわかっていないが、曹叡の時代まで魏に仕え、鎮東将軍・執金吾と昇進し、没後は威侯と追贈された。