老荘思想
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老荘思想(ろうそうしそう)は中国で生まれた思想。道家の大家である老子と荘子を合わせてこう呼ぶ。道家の中心思想としてとりわけ魏晋南北朝時代に取りあげられた。
[編集] 概要
老荘思想が最上の物とするのは道である。道は天と同義で使われる場合もあり、また天よりも上位にある物として使われる場合もある。あえて一言で言えば万物が本来自然より授かった生きるべき正しい方向である。
この道から道家の名前がついた。また老荘の名以前に黄老(こうろう)があり、戦国時代から漢初に流行した。
老子と荘子がまとめてあつかわれるようになったのは前漢、紀元前139年に成書された百科的思想書の『淮南子』(えなんじ)に初めて見え、魏晋南北朝時代のころの玄学において「易経」「老子」「荘子」があわせてまなばれるようになってからであろう。 老荘思想は道家思想とほぼ同義に用いられるが、これは前漢のころには信頼できる道家の書物が、老子と荘子くらいしか残っていなかったためである。
[編集] 歴史
老荘思想は当然老子から始まるが、老子はその生涯があまり良く解っておらず、存在しなかったという説もある。
儒教が国教となってからも老荘思想は中国の人々の精神の影に潜み、儒教のモラルに疲れた時、人々は老荘を思い出した。特に魏晋南北朝時代においては政争が激しくなり、高級官僚が身を保つのは非常に困難であった。このため、積極的に政治に関わることを基本とする儒教よりも世俗から身を引くことで保身を図る老荘思想が広く高級官僚(貴族)層に受け入れられた。加えて仏教の影響もあり老荘思想に基づいて哲学的問答を交わす清談が南朝の貴族の間で流行した。魏の正始の音に始まり、西晋から東晋の竹林の七賢(嵆康、阮籍、山濤、向秀、劉伶、阮咸、王戎)が有名である。ただし、竹林の七賢がグループとして活動した記録はない。 『老子』『荘子』『周易』は三玄と呼ばれ、これをもとにした学問は玄学と呼ばれた。
老荘思想は仏教とくに禅宗に接近し、また儒教(朱子学)にも影響を与えた。
[編集] 道教
フランスの中国学者アンリ・マスペロ(東洋文庫『道教』の著者)によれば、老荘思想と道教は連続的な性質を持っている。しかし日本の研究者の間では、哲学としての老荘思想と道教はあまり関係がないという説が一般的である。
道教に老荘思想が取り込まれたが、あくまで表層的な老荘のイメージを利用しただけと言う感が強い。老荘思想はものの生滅について「生死は表層的変化の一つに過ぎない」と言う立場を取っているが、道教において不老長寿を願い危険な薬を飲む行為はそれと矛盾している。日本に於いてだけでも、時代に依って道教と老荘思想の意味・関係は変化しつづけたが、それは道教研究のここ百年での深まりと、老子・荘子各々を把握解釈する者の営為に依存している。