織田敏広(おだとしひろ、生年不詳 - 文明13年(1481年))は室町時代・戦国時代の武将。父は織田常松。妻は美濃守護代の斎藤妙椿女。子に織田寛広。兵庫助。通称は与次郎。大和守。
初め久広と名乗り、文明8年(1476年)に同族の清洲城主・織田敏定と戦うが、敗れて下津城から岩倉城に本拠を移した。文明10年(1478年)10月に再び敏定と戦うが、敗北。12月には義父の妙椿と共に清洲城を囲み、敏定に尾張国の共同統治を受け入れさせる。
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