細谷雄太
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細谷 雄太(ほそや ゆうた、1882年 - 1950年)は医学博士であり、自由律の俳人である。俳号:細谷 不句(ほそや ふく)。別号、柚翁。山形県西村山郡谷地町(現・河北町)生まれ。旧制第一高等学校、東京帝國大学医科大学卒。専門は耳鼻咽喉科。俳人として『一高俳句会』に所属、河東碧梧桐に師事。荻原井泉水とも交流。新傾向俳句機関誌『層雲』同人、自由律俳誌『海紅』創刊に参加。一高時代における同郷出身に阿部次郎、斉藤茂吉。同じく医学博士で生理学者の細谷雄二は弟。
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[編集] 職歴
- 1908年 東京帝國大学附属医院副手
- 1912年 台湾総督府医院医長兼台湾総督府医学専門学校教授
- 1917年 文部省在外研究員として、スイス、イタリアへ留学
- 1922年 千葉医学専門学校附属病院嘱託・文部省在外研究員として、アメリカ、イギリス、ドイツへ留学
- 1924年 千葉医科大学附属病院耳鼻咽喉科医長・文部省在外研究員として、スイス、イタリアへ留学
- 1928年 東京同愛記念病院・国立埼玉病院勤務
- 1945年 埼玉県志木市にて開業
[編集] 主な著書
- 『喉頭結核及其療法』 半田屋医籍 1909年
- 『危険性耳病及其療法』 南江堂 1910年
- 『新自然哲学』 春秋社 1922年
- 『日本外科全書5巻』 吐鳳堂 1928年
- 『細谷耳鼻咽喉科学』 南山堂書店 1924年
- 『耳鼻咽喉科診療の実際』南山堂書店 1933年
[編集] 代表句
- 串ざしの蛤みな干上がり串太き秋の日
- 春日のビフテキの店柿いろの暖簾を垂れ
- 蟷螂とぶとき身軽うわれらが方へ 『自由律俳句作品史』(永田書房1979年)より