第二次チェチェン紛争
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第二次チェチェン紛争(だいにじチェチェンふんそう)とは、チェチェン独立派と、ロシア連邦及びロシアへの残留を希望するチェチェン人勢力との間で発生している紛争であり、一般的にソ連崩壊直後から1996年年まで続いたものを第一次チェチェン紛争、1999年に勃発したものが第二次チェチェン紛争と分類されている。
2006年現在、過激派指導者シャミル・バサエフが殺害されるなど、独立派勢力の弱体化が指摘されるものの、未だ小規模なテロ事件などが発生しており、紛争は継続中であるといえる。
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[編集] 紛争の再燃
ロシアからの独立を目指した第一次チェチェン紛争は1996年に一応の終結を見ていた。1997年5月にはハサヴユルト協定が調印され、5年間の停戦が合意されていた。
ところが1999年8月、シャミル・バサエフに率いられた1500名程のチェチェン人武装勢力がの隣国ダゲスタン共和国へ侵攻し、一部の村を占領するという事件が発生する。また同時期にモスクワではアパートが爆破されるテロ事件が発生し、百数十名が死亡した。これを受けてロシア政府はチェチェンへの軍派遣を決定。9月には本格的な攻撃が再開され、ハサヴユルト協定は完全に無効となった。
[編集] 紛争の拡大
戦争の最初の数ヶ月間、ロシア連邦軍は地上部隊による攻撃よりも制空権の優位性をうまく利用した。 そのため多くの死傷者を出さずにすんだが、そののちグロズヌイや他の主要都市への激しい絨毯爆撃や弾道ミサイルによる攻撃を行うようになった。 チェチェン共和国の回廊地帯は、都市の市民たちの避難場所になった。 独立派は彼らの避難を妨げることがあったとの証言もある。
西側諸国はロシア連邦軍による抵抗運動の処遇や、ロシア側、チェチェン側双方で行われた拷問、強姦、略奪、密輸出入、横領などの犯罪を非難している。 ロシア側は武装勢力に対する攻撃の中でクラスター爆弾、燃料気化爆弾、弾道ミサイルなどを使用したが、これらの攻撃によって民間人への被害も発生している。
2002年3月、イスラム原理主義の抵抗運動のリーダーであるアミール・ハッターブが殺害された。 アミール・アブ・アルワリドが跡を引き継いだ。
[編集] 紛争のテロリズム化
チェチェン領内でのゲリラ戦に加えて、2002年10月に発生したモスクワ劇場占拠事件や2004年9月のベスラン学校占拠事件など、一般市民や政府などに対する攻撃も数多く起きている。
チェチェン独立派は、この戦争によりこれまで6万人の市民が死んでいると主張している。またロシア国防省はこの紛争で、1000人以上のロシア兵が死亡したと発表した。
チェチェン独立過激派に対するロシア連邦大統領 ウラジミール・プーチンの強硬策には批判も一部から出ているが、世界的な「テロとの戦い」という流れの中で、一般的にはチェチェン紛争もその「テロとの戦い」の一部とされることが多い。
2002年12月には、チェチェン共和国の首都グロズヌイで爆弾を積んだトラックが爆発。チェチェン共和国政府ビルが破壊され、70人以上が死亡した。ゲリラ戦は現在も続いているが、これはチェチェン独立派がロシアの統治下にいることに納得しないためであるとされ、抵抗運動が武力によって戦われている現状がある。
チェチェン独立派指導者の一部は西側諸国に対して仲介を要望し、またロシア連邦に対して抗議している。 紛争当初は各国から支援を得たが、アルカーイダ等テロ組織との関係を疑惑視され、現在では孤立無援となっている。
プーチンによる戦争終結宣言以降も、シャミル・バサエフに接近した、アミール・ハッターブに率いられたイスラム過激派のテロリスト等が、ロシア連邦軍とチェチェン政府に対するゲリラ戦を継続し、兵士や市民たちが殺害される事態が続いている。チェチェンの抵抗運動は捕らえた一般市民やロシア兵を殺害する様子をビデオテープに記録し、インターネット上に配信したこともある。
2004年には親ロシア派チェチェン大統領アフマド・カディロフが爆弾によって暗殺された。カディロフを通じてチェチェンの安定化を図ろうとしていたロシア政府にとって、この事件は大きな打撃となった。
もっとも現在では、上記のバサエフ・ハッターブ等、当初の過激派指導者は軒並み殺害されている。またその他の穏健派指導者も大半は国外へ脱出しており、独立派の弱体化も指摘されている。
[編集] 第二次チェチェン紛争に関わる事件
チェチェン独立派は事件直後には犯行声明を出さないことが多く、むしろ発生後しばらくの間は自分たちの関与を否定するかのような発言を行い、ある程度時間が経ったときに初めて声明を出すことが多い。世間の関心が薄れた頃に犯行声明を出すことにより、「テロリスト」のイメージを薄めようとしているものと考えられる。
近年のテロの過激化を見るに、 イスラム原理主義過激派の勢力が加担していると考えられ、アルカーイダなどの関与も疑われる。 それに伴い、チェチェン内のイスラム過激派秘密結社の動きも注目される。また、自爆テロ事件の中には、チェチェン人女性が関わっているケースがあるが、これは殺害された武装勢力兵士の妻などが、仇討ちのためにテロに身を投じると考えられている。一説には、夫を失った妻のテロ組織「黒い未亡人」というグループが存在するともいわれる。
[編集] 2002年
- モスクワ劇場占拠事件 - 169人死亡
- 首都グロズヌイの政府庁舎爆破 - 72人死亡
[編集] 2003年
- 共和国北西部の行政庁舎爆破 - 60人以上死亡
- モスクワ野外コンサート会場爆破 - 15人死亡
[編集] 2004年
- モスクワ地下鉄爆破 - 41人死亡
- グロズヌイの対独戦勝記念式典を爆破 - 大統領 カディロフなど30人殺害
- イングーシ共和国内務省などを襲撃 - 約90人死亡
- モスクワ発旅客機同時爆破 - 80人以上死亡
- モスクワ地下鉄駅付近爆破 - 約10人死亡
- 北オセチア共和国ベスラン学校占拠事件 - 322人死亡
[編集] 2005年
- カバルジノ・バルカル共和国首都ナリチク同時襲撃事件
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] 政府機関
- チェチェン政府公式サイト(ロシア語)
- CHECHNYAFREE(英語、ロシア語)
- チェチェン独立派「外務省」公式サイト](英語)
[編集] NGO
- チェチェン総合情報(記事の内容が中立性に欠けるとの批判もある。)
- ChechenWatch(上記NGOの系列サイト)
- Prague Watchdog - Crisis in Chechnya(英語、ロシア語、チェコ語)
- Cafe Impala 本と書評のページ インパラブッククラブ: 米原万里「チェチェンものに感動、涙」(2004年3月11日。書籍未収録)