禅海
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禅海(ぜんかい、元禄4年(1691年) - 安永3年(1774年))は、江戸時代中期の曹洞宗の僧。越前国高田藩士の子。本名は福原市九郎。
両親が亡くなった事から世の無常を感じて出家し、諸国を行脚。
豊前国(今の大分県)耶馬渓の青の洞門を開削したものとして知られる。豊後国羅漢寺を参詣した時、川沿いの断崖にかけられた桟橋が危険なことを知り、陸道の掘削を思いついた。1730年(享保15年)ころ、豊前国中津藩主の許可を得て掘削を始めたが、その後周辺の村民や九州諸藩の領主の援助を得て30年余りの歳月をかけて、1763年(宝暦13年)に完成させた。
開通後、通行人から通行料を徴収したという話が伝わっており、この洞門は日本最古の有料道路とも言われている。