神保利孝
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神保 利孝(じんぼ としたか、1816年(文化13年) - 1868年11月7日(明治元年9月23日))は、幕末期の会津藩の家老。官途名は内蔵助(くらのすけ)。神保修理の父。
1816年、代々会津藩の家老職を務める家柄に生まれた。1863年、家老に就任して藩主・松平容保に仕える。容保と共に上洛して1864年の禁門の変では天王山に立て籠もっていた志士・真木和泉を新撰組と協力して自決に追い込んだ。
1868年、戊辰戦争では会津戦線で奮戦したが、六日町口の戦いで敗れて逃走し、医師の土屋一庵邸で、同じく家老の田中土佐と刺し違えて果てたのである。享年53。
戦国時代のような風格を持った、会津藩の忠臣であった。