石川県立大聖寺高等学校
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石川県立大聖寺高等学校(いしかわけんりつ だいしょうじこうとうがっこう)は、石川県加賀市大聖寺永町にある県立の高等学校。
石川県立大聖寺高等学校 | |
過去の名称 | 石川県立大聖寺中学校 石川県立大聖寺高等女学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 石川県 |
設立年月日 | 1911年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制による教育 |
学科 | 普通科 |
学科内専門コース | 普通コース 人文国際コース |
所在地 | 〒922-8510 |
石川県加賀市大聖寺永町33-1 | |
電話番号 | 0761-72-0054 |
FAX番号 | 0761-72-5261 |
外部リンク | 公式サイト |
目次 |
[編集] 概要
地元での通称は「聖高」(せいこう)。 スーパーイングリッシュランゲージハイスクールに指定されている。 設置学科は普通科のみだが、普通コース、人文国際コースに分かれる。 両コースは入試の段階から別枠の募集となるが、併願も可能である。
校歌の作詞者は折口信夫。 折口は、前身の大聖寺高等女学校の校歌の作詞も手がけているが、そのためか、男女共学であるにもかかわらず、現在の校歌はやや女性的であるとの評価もある。
[編集] 沿革
- 1948年(昭和23年)4月 - 石川県立大聖寺中学校、石川県立大聖寺高等女学校を統合して発足。
- 1948年(昭和23年)10月 - 定時制課程設置。
- 1949年(昭和24年) - 総合制高校として普通、商業、家庭の3課程設置。
- 1953年(昭和28年) - 家庭科廃止。
- 1964年(昭和39年) - 定時制家政科を設置。
- 1965年(昭和40年) - 商業科が石川県立大聖寺実業高等学校として分離独立。
- 1966年(昭和41年) - 定時制課程が石川県立加賀聖城高等学校として分離独立。
- 1989年(平成元年) - 普通科内に人文国際コース設置。
- 石川県立大聖寺中学校
- 石川県立大聖寺高等女学校
- 1911年(明治44年) - 江沼郡立実科高等女学校として創立。
- 1921年(大正10年) - 石川県江沼郡高等女学校と改称。
- 1923年(大正12年) - 石川県立大聖寺高等女学校と改称。
- 1948年(昭和23年) - 石川県立大聖寺中学校と統合し石川県立大聖寺高等学校となる。
- 1951年(昭和26年) - 廃止。
[編集] スポーツ
スポーツは全般的に盛んであるが、県立校であることと、県内の西端という地理的条件から毎年有力選手が入学してくる環境にないため、各部とも継続的に好成績を残すのは難しい状況である。
野球部は、春、夏とも甲子園出場経験はないが、1956年(昭和31年)の夏の大会石川県予選の決勝で金沢泉丘高校を破って優勝したことがある。この時代は1県1代表ではなく、北陸地区予選で敗退し甲子園への夢を断たれている。
[編集] 進学
中堅進学校として、旧帝大には毎年数名、その他国立大には70~80名、早慶、関関同立等の上位私大にも数10名の合格者を輩出している。
[編集] 本校出身の有名人
- 高田宏(1951年卒→京大)-作家,随筆家
- 辻正行(1951年卒→武蔵野音大)-音楽家(合唱指揮者)
- 柿谷勲夫(1957年卒→防衛大→阪大院)-軍事評論家
- 銭谷欽治(1971年卒→中大)-全日本総合バドミントン選手権 男子単優勝7回(4連覇を含む)