矢沢頼綱
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矢沢 頼綱(やざわ よりつな、1518年(永正15年) - 1597年6月21日(慶長2年5月7日))は、戦国時代の武将。真田幸隆の弟。幼名源之助。名は頼幸とも。薩摩守。嫡男に矢沢頼康。
若い頃出家し京都鞍馬の僧となるが、程なく郷里に戻って還俗し、兄幸隆に属して武田信玄に仕える。信州勢先鋒として活躍したが、兄幸隆が亡くなり、そして武田氏滅亡に伴なって甥の信綱、昌輝が相次いで亡くなると、同じく甥の昌幸に従って上野岩櫃城を攻略し城代となった。その後独立勢力となった真田氏の中心人物として、小那淵城、名胡桃城、小川城の諸城を攻略。さらに沼田城も攻略し城代となるなど貢献した。