真里谷信保
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真里谷 信保(まりやつ のぶやす、文明17年(1485年) - 天文3年7月1日(1534年8月10日))は、上総国の戦国大名。真里谷武田氏の当主。真里谷信勝の子。恕鑑の号で知られている。
智勇に優れた人物で、上総における真里谷家の勢力を拡大するため、古河公方の足利高基と対立して放浪していた足利義明を小弓公方に擁立し、自身は房総管領と名乗り、背後で義明を操って巧みに勢力を拡大することに成功した。だが、里見氏の天文の内訌では里見義豊を支援して敗北する。やがて傀儡の立場に不満を抱いた義明と対立し、この争いに敗れて後継者である庶子の真里谷信隆に家督を譲って隠居した。
1534年、50歳で死去した。