益信
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益信(やくしん、天長4年(827年) - 延喜6年3月7日(906年4月8日))は、平安時代前期の真言宗の僧。俗姓は紀氏。行教の実弟。備前国の生まれ。円成寺僧正・本覚大師とも称される。真言宗広沢流の祖。
初め明詮に法相教学を学び、宗叡に密教の法を受け、源仁に灌頂を受けた。888年(仁和4年)権律師に任じられ、その後僧正まで昇任した。その間、東寺長者法務・東大寺別当・石清水八幡宮検校を兼務している。899年(昌泰2年)宇多上皇が出家する際の受戒の師となり、あとに灌頂も授けた。また、尚侍藤原淑子の帰依も受け、その東山山荘を寺として円成寺と称した。その後益信の門流は広沢流とよばれるようになった。