白毫寺
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白毫寺(びゃくごうじ)は、奈良県奈良市白毫寺町にある真言律宗の寺院。本尊は阿弥陀如来。開基(創立者)は勤操(ごんそう)と伝える。奈良市街地の東南部、春日山の南に連なる高円山の山麓にあり、境内から奈良盆地が一望できる景勝地に建つ寺である。関西花の寺第18番(萩)。
なお、寺号の「白毫」は、仏の眉間にある白い巻毛のことである。
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[編集] 起源と歴史
霊亀元年(715年)、天智天皇の第7皇子である志貴皇子の没後、天皇の勅願によって皇子の山荘跡を寺としたのに始まると伝えられる。また、かつてこの高円山付近に存在した石淵寺(いわぶちでら)の一院であったともいう。石淵寺は空海の剃髪の師であった勤操が建てたとされる寺院である。鎌倉時代になって西大寺の叡尊によって再興され、叡尊の弟子である道照が将来し経蔵に収めた宋版一切経の摺本によって、一切経寺とも呼ばれ繁栄した。室町時代に兵火で建物が焼失し衰退するが、江戸時代の寛永頃に興福寺の空慶により復興される。
[編集] 伽藍
- 本堂(奈良市指定文化財)
境内には他に御影堂、宝蔵、石庭、椿園、万葉歌碑などがある。
白毫寺にはかつて室町時代建立の多宝塔があったが、1917年(大正6年)に人手に渡り、移築された。移築先は長らく不明とされていたが、兵庫県宝塚市切畑長尾山の個人所有の山荘に移築されていたことが後に判明した。この多宝塔は2002年3月19日、移築先の山火事で全焼した。
[編集] 文化財
[編集] 重要文化財
- 木造阿弥陀如来坐像
- 白毫寺の本尊となっている檜材を用いた寄木造りの仏像で、平安時代末期から鎌倉時代頃の作といわれる。
- 木造菩薩坐像(伝文殊菩薩)
- もと多宝塔の本尊とされる白毫寺最古の仏像で、平安初期彫刻の特徴をよく伝える。
- 木造地蔵菩薩立像
- 鎌倉時代後期に造られた地蔵菩薩像の秀作で、施された彩色も鮮やかに残っている。
- 木造興正菩薩坐像
- 白毫寺を中興した興正菩薩・叡尊の肖像彫刻で、叡尊晩年の姿を見事にとらえている。
- 木造閻魔王坐像
- もと閻魔堂の本尊といわれる鎌倉時代の仏像で、迫真性に富む険しい表情の像である。
- 木造太山王坐像
- 閻魔王とともに冥界の十王の一人。鎌倉時代の像で、体内に残された墨書により運慶の孫・康円の作と判明する。
- 木造司命半跏像・司録半跏像
- ともに閻魔王の眷属で、康円一派の作である。
[編集] その他
[編集] 行事
[編集] 所在地
〒630-8302 奈良県奈良市白毫寺町392