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畠山 義福(はたけやま よしとも、寛延3年(1750年) - 享和2年4月3日(1802年5月4日))は、高家旗本。高家旗本畠山国祐の次男。生母は高家旗本堀川広益の娘。通称は織部。
一族である高家旗本畠山義紀の養子となる。実兄に高家旗本畠山政如、実弟に高家旗本畠山国儔(兄政如の養子)がいる。明和4年(1767年)2月15日将軍徳川家治に御目見する。明和6年(1769年)4月5日養父義紀の隠居により、家督を相続する。ただし、生涯表高家として過ごし、高家職に就くことはなかった。享和2年(1802年)4月3日死去、享年53。
正室は土屋篤直の養女。二男あり。長男義一、次男義宣(畠山義一の養子)。