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畠山 義一(はたけやま よしかづ、安永4年(1775年) - 文化7年1月25日(1810年2月28日))は、高家旗本。高家旗本畠山義福の長男。生母は土屋氏。通称は修理。
寛政4年(1792年)4月28日将軍徳川家斉に御目見する。享和2年(1802年)父義福の死去により、家督を相続する。ただし、生涯表高家として過ごし、高家職に就くことはなかった。文化7年(1810年)1月25日死去、享年46。
三女あり。長女は高家旗本上杉義達に嫁いだ。なお、畠山家は実弟の義宣が養子として相続した。