利用者‐会話:田英/特設200612
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目次 |
[編集] 海軍軍人記事
- 事の顛末を整理してみました。
まず最初の編集[1]後、IP時代のOuvertureが私のノートに最初の書き込み。[2]。これに対し、穏便に済ませるために妥協し[3]、表現を変えて再編集。[4]。にもかかわらず、ノートへの反論もなしに、木村昌福ノート[5]にて一方的に決めつけ、[6]転載疑いのタグを貼るに及び、対抗措置としてリバートし、再度議論を呼びかけるも返答なく[7]、現在に至るも、133.1.90.160 氏の密告により再燃し現在に至る --KASAGI 2006年12月4日 (月) 14:16 (UTC)
- 詳細な整理情報の提供ありがとうございます。木村昌福の記事についてOuvertureさんの示された『日本陸海軍総合辞典』を図書館で確認してくることにしました。追ってコメントさせていただけると思いますのでよろしくお願いいたします。なお、節タイトルとなった辰斯王については、削除完了し、先ほど記事の復活も果たしております。お騒がせいたしました。--田英 2006年12月4日 (月) 17:35 (UTC)
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- 辰斯王の件に関しては、ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。「日本陸海軍総合辞典」についてですが、いくら確認されようと、意味がないことだと思いますが。なぜなら、いくら文言が似ていようと、私はその本を手にしていないのです。もし田英さんが転載だと判断されても、私は否定するしかありません。たとえ投稿禁止処分にされても、これだけは曲げることはありません。仮に、私が参考にした「最前線指揮官の太平洋戦争」および[8]の類似性が問題だと言われるのならば、甘んじて受け入れますが、見ていないものを見たとは言えません。--KASAGI 2006年12月5日 (火) 11:30 (UTC)
- ご連絡ありがとうございます。辰斯王の件は気になさらないでください。 KASAGIさんがご覧になられていないことを証明はできませんし、見たはずだ、などと主張するつもりも持ち合わせておりませんので、その点についてはご了解いただきたいと存じます。Ouvertureさんが指摘する箇所の類似性がアウトかセーフか、を、コミュニティの審査に図れれば、と思った次第です。辞典の確認まですることに至ったのは、Ouvertureさんのほうで全文を引用表記されていなかったように思いますので、広く判断を仰げるように、と引用をするつもりである、とご理解くだされば幸いです。私自身が、どのレベルであれば転載(アウト)認定で、どのレベルであれば参照(セーフ)認定か、という線引きがわからなくなってきてしまいましたので、線引きを見極めるために確認をしておきたい、ということなのです。場合によっては、私のほうからはコメント依頼の形で審査を問うことになるかもしれませんが、構いませんでしょうか?--田英 2006年12月5日 (火) 11:49 (UTC)
- 辰斯王の件に関しては、ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。「日本陸海軍総合辞典」についてですが、いくら確認されようと、意味がないことだと思いますが。なぜなら、いくら文言が似ていようと、私はその本を手にしていないのです。もし田英さんが転載だと判断されても、私は否定するしかありません。たとえ投稿禁止処分にされても、これだけは曲げることはありません。仮に、私が参考にした「最前線指揮官の太平洋戦争」および[8]の類似性が問題だと言われるのならば、甘んじて受け入れますが、見ていないものを見たとは言えません。--KASAGI 2006年12月5日 (火) 11:30 (UTC)
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- 私が納得できないのは、なぜ全く無関係な本の類似性が問題になるのかということです。前述の私が参考にした資料、HPを問題にされるのであればわかるのですが、こちらが全く関知していないものである以上は、類似を避けようにも避けようがないはずです。そんないつ踏んでしまうかわからない地雷が埋まっているような状態ではWikipediaを続けていくのは不可能でしょう。しかも、該当部分は、人物の経歴、戸籍情報に関するものです。ある程度類似した記述になってしまうのはやむを得ないでしょう。どの程度がセーフかアウトか、という線引き度の問題と仰るが、それは対象となる文章が、共通の史料に基づくという前提のもとでのみ成立する話でしょう。広く判断を仰ぐといっても、その判断の基準は何なのでしょうか。元となる史料を異にしているのに、ある程度類似しているからアウトだ、いやセーフだと言えるものなのでしょうか。私としては、仮に審査に付されてアウトと判断されても、納得は出来ないでしょう。--KASAGI 2006年12月5日 (火) 12:20 (UTC)
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(インデント戻します)誤解を招いてしまったのであれば、お詫びいたします。関知していないものの類似性の指摘について、結果として似てしまったものは、今現在アウト認定なのでしょうか?それすらも判らなくなっているのが正直なところなのです。なので、アウトセーフの判定は、「短いセンテンスで表される事実」をまとめた結果が、指摘されいてる文章を見ていないと主張する場合においても、類似性を責められるものなのかどうか、というところまでを含めて判定を求めたいと考えていました。さらにいえば、「見ていない」という主張に対して「そんなはずはない」というような批判がWikipediaのコミュニティ内で成立するのかどうか(私はこれは批判として成立するとは思いませんが)まで、見極めたいと思っています。まずはその前に、「見ていない」と仰るKASAGIさんと「見たはずだ」と仰るOuvertureさんとで話が平行になっていること、実書確認をしたとされている他の方の発言(駆逐艦雪風さんの「口読点までまったく同じな状態で(原文のママ)」[9])を、追試してみようと思った次第です。<「密告」にならないように、先方にも断りをいれてくることにします>コメント依頼の形というのは取り下げ、幸いにもこの件に関心を抱かれている方がほかにもいらっしゃるようなので、個別に問い合わせをしてみることとします。--田英 2006年12月5日 (火) 17:40 (UTC)(書名漏れを追記)
- それがアウトというのであれば私としては言うことはありません。というか、いい加減バカバカしくてもうWikipediaに関わる気持ちは殆どないのですが、そもそも、O氏の主張する文章とは最初の書き込み[10]のことを指しているのか、指摘を受けての再編集後[11]のことを指しているのか、意図が不明です。最初の書き込みと再編集後とは明らかに文章を変えてあるので、仮に最初の方が類似しているとしても、編集後のものは、当初主張には当たらないはずです。にもかかわらず、彼は相変わらず転載だという主張を変えておりません。再編集前も再編集後も同じ「~辞典」からの転載だとでも言うのでしょうか?(他の方もどこをどう確認したのか甚だ疑問です)。私は、これは単に類似性云々の問題ではなく、醍醐忠重一件についての逆恨みによる個人攻撃であると判断しました。醍醐忠重一件に関しては、転載云々の問題ではありません。私が新規作成した項目であり、確認は容易なはずです。問題は彼の加筆した書名の間違いを私が訂正したことに端を発したものです。これに対しては未だに謝罪も明確な返答もありません。駆逐艦雪風とかいう人物が、醍醐忠重一件をも句読点まで同じだと中傷しているようですが、明らかに事態を理解していない虚偽の発言とわかります。先ほどから申し上げているように、仮に一字一句同じだとしても(そんなことはあり得ませんが)、こちらには一切関知しえないもので、どうすることも出来ませんが、ただ田英さんが駆逐艦雪風の発言の虚偽を確認するという限りにおいては意味があるでしょう。--KASAGI 2006年12月5日 (火) 14:45 (UTC)
- 長くなってきたのと、辰斯王からずれてきたので節を分けました。蒸し返すようなことになってしまってて申し訳ありません。私が辞典の確認を申し出たことで、バカバカしいとの思いを強くされたとのことでしたら、心よりお詫び申し上げます。「それでアウトというのであれば私としては言うことはありません」と仰いますが、私も同感なのです。そのような裁定(特に事実短文の集成で作った記事の、投稿者が見ていない書籍との類似性がアウト)が下ることはまずないと思いたいのですが、現時点ではアウトだと主張する方は削除依頼を立てられるではなく、アウト寄りの表明と投稿者を非難する新規アカウントユーザーが続くばかりで、アウトではないと主張する第三者、アウトかセーフかを判定しようとする第三者もいないのが実態かと思います。議論による解決を図ってKASAGIさんはOuvertureさんに呼びかけられ、説明をし、説明を求めていますが、「あなたの言うことは信じられない」として、議論が進む気配がありません。これではお二方の対立のまま何も変わらず、バカバカしいとの思いが募るだけのようにも思えます。なので、該当の辞典を第三者が確認することで、すこしでも議論が進み、対立が解消されることを願います。議論の進む過程で、ほかの疑問も生じ、また解決できるかもしれません。以上のように考えている次第です。--田英 2006年12月5日 (火) 17:40 (UTC)
[編集] 総合事典の確認
『日本陸海軍総合事典』の実物確認について本日某市中央図書館へ参ったのですが、書庫整理中で12/9(土)まで休館中とのことでした。次に図書館へいけるのは12/13(水)となってしまいますので、私田英自身の検証は先送りとなりました。事前の開館状況確認不足で申し訳ありません。なお、事典の確認の意図するところとして、おおよそ以下のように考えています。
[編集] 木村昌福記事
- KASAGIさんが編集された内容
- 弁護士の父近藤壮吉の次男として生まれる。昌福は生後すぐに母方の祖母木村家の養子となった。兄近藤憲二(40期、大佐)、弟近藤一声(50期、戦死後大佐)もともに海軍軍人となっている。(以上、KASAGIさんの [12]の編集より地文からコピーしたもの)
- 『日本陸海軍総合事典』(秦郁彦著・東京大学出版会 第二版 2005 p.201)の記載
- 「弁護士(静岡県)近藤壮吉の次男。母鈴の木村家(鳥取県)を継ぐ、兄近藤憲治(40)は海軍大佐、弟近藤一声(50)は海軍大佐(戦死) 静岡中学校を経て大2.12海兵卒.....」(以上、Ouvertureさんの直接提示によるものと別の箇所でOuvertureさんが書かれている情報から2005年出版の同書の第二版と思われること、を田英が補ったもの。ちなみに初版は1991年)
- ※後ほどこの箇所に田英自身で実物を見て引用記述する予定です。他の方に実物を見ていただいたうえで、引用と明記のうえ記述いただいても結構です。
======追加記入その1此処から--田英 2006年12月11日 (月) 11:54 (UTC)
- 「木村 昌福(41)[静岡]明24・12・6~昭35・2・13 弁護士(静岡県)近藤壮吉の二男、母鈴の木村家(鳥取県)を継ぐ,兄近藤憲治(40)は海軍大佐,弟近藤一声(50)は海軍大佐(戦死) 静岡中学校を経て大2・12海兵卒 3・12少尉 5・12中尉 6・6水雷(普)卒 6・12砲術校…(以下経歴を中略)20・11・1中将・予備役 のち防府で製塩業 伝記に星野清三郎『ヒゲの提督木村昌福伝』正続(非売品,1993~94)がある」 以上は転載とする指摘を検証するために『日本陸海軍総合事典』(秦郁彦著・東京大学出版会 第二版 2005 p.201)より田英が実物を見ながら引用したもの
======追加記入その1此処まで--田英 2006年12月11日 (月) 11:54 (UTC)
コメントいただける場合は以下へお願いいたします。--田英 2006年12月11日 (月) 13:14 (UTC)
[編集] コメント
- 上記を見た限りKASAGIさんの記述はコピペでなく、資料(上記のものとは限らない)をもとに、ご自分で文章を構築されたと考えます。よって著作権違反には該当しないと私は思います。--いちごミルクorder 2006年12月11日 (月) 13:36 (UTC)
- 事典に書かれているのは続柄など短文による事実であり、これを著作権侵害とすることはできないと認識しております。--田英 2006年12月11日 (月) 14:09 (UTC)
[編集] 醍醐忠重記事
こちらについては今のところ実引用を挙げての転載指摘をされているわけではないように見受けられます。ですので、KASAGIさんの編集による初版記事と最新版記事とをもとに、『日本陸海軍総合事典』との確認をし、引用記述をする予定です。類似性が無ければ後述の批判のひとつは崩れるでしょうし、事典の確認により、何かわかることがあるかもしれないと考えている項目があります。類似性が認められた場合、どう振舞うべきかについては別の節を立てて検討をしていくことを考えております。
======追加記入その2此処から--田英 2006年12月11日 (月) 11:54 (UTC)
本日12月11日、府立図書館に依頼していた該当書籍のコピーが届きましたので、転載の指摘を検証するために書き加えます。
- 『日本陸海軍総合事典』(秦郁彦著・東京大学出版会 第二版 2005 p.224)の記載
- 「醍醐 忠重(40)[東京]明24・10・15~昭22・12・6 醍醐忠敬の三男,侯爵醍醐忠順の養嗣子,妻顕子は侯爵毛利元昭の女,女は*海軍機少佐松平永芳に嫁す 明33・8襲爵(侯爵) 42・3学習院中等科卒…(以下経歴を中略)22・12戦犯としてポンチャナクで刑死 伝記に吉本軍兵『一粒の麦―提督醍醐忠重の最期』(栄光出版社,昭49)がある」 以上は転載とする指摘を検証するために『日本陸海軍総合事典』(秦郁彦著・東京大学出版会 第二版 2005 p.224)より田英が実物を見ながら引用したもの
- KASAGIさんが編集(初版)された記事
- 公卿華族清華家の名門醍醐家に生まれる。父忠敬は戊辰戦争で奥羽鎮撫副総督などを務めたが、忠重8歳の時、従兄弟の格太郎により射殺されてしまう。家督相続に絡む怨恨で、一大スキャンダルとなり醍醐家は没落してしまう。しかし忠重は文武に励み海軍兵学校に入学、144名中17番の成績で卒業(40期)し、侍従武官などを務めるが、人気のなかった潜水艦を志望し、潜水艦戦の専門家として太平洋戦争では第5潜水戦隊司令官、第6艦隊司令長官などを歴任。謹厳実直で部下からの信頼が厚かった。しかし、戦後ポンチャナック事件の容疑者として戦犯指名され、オランダ軍の報復裁判により死刑判決を受け、公開銃殺刑にされた。反対尋問も証人喚問も許されない3時間の即決裁判であり、冤罪であるのは明らかであった。(以上、KASAGIさんの [13]の地文からコピーしたもの)
======追加記入その2此処まで--田英 2006年12月11日 (月) 11:54 (UTC)
コメントいただける場合は以下へお願いいたします。--田英 2006年12月11日 (月) 13:14 (UTC)
[編集] コメント
- 上記の記述内容から、KASAGIさんご自身で文章を構築の上、ウィキペディアに投稿されたと思います。ゆえに著作権違反には該当しないというのが私の意見です。--いちごミルクorder 2006年12月11日 (月) 13:40 (UTC)
- 該当書籍を見られていれば養嗣子の辺りが記されることと思います。該当書籍を見られているとも考えられず、転載とする根拠はないと認識しております。--田英 2006年12月11日 (月) 14:09 (UTC)
[編集] 記事に対する批判
これらに対し
- Ouvertureさん
- (木村記事)該部分は『日本陸海軍総合事典』(秦郁彦編・東京大学出版会)2005年8月15日を転載したもの。
という状況です。必要であれば差分更新箇所へのリンクは付け足していきます。
私自身はこの段階では「該当書籍を見ていないとされるKASAGIさんの言に対して、転載・句読点まで同じな状態で投稿という指摘・評価が行過ぎている」という感想を抱いております。この感想の一端には、OuvertureさんやOuvertureさんを支持する方々から、KASAGIさんをして著作権侵害の常習犯であるとするレッテル貼りのような行為があちこちで見られることもあります。(このことについては現段階では小節による掲示は不要と考えています)ただ、駆逐艦雪風さんが実書籍を閲覧したうえで「原文とほとんど変わり映えがありません」とされているので、私自身も実書籍を閲覧した上での意見提出としたいと考えております。--田英 2006年12月6日 (水) 08:26 (UTC)
- 木村昌福10月7日版を見ると良いでしょう。それから田英さん、余り刺激的な書き方をしない方が良いかもしれません。今の書き込みではカチンと来る人もいるかもしれませんのでお願いします。--駆逐艦雪風 2006年12月6日 (水) 23:19 (UTC)ページ移動の誘導リンクの記述ミスがあったため、駆逐艦雪風さんが上ページにお書きいただいた内容を、時系列に合わせるためにこちらのページに移動させていただきました。--田英 2006年12月7日 (木) 12:46 (UTC)
コメントいただける場合は以下へお願いいたします。--田英 2006年12月11日 (月) 13:14 (UTC)
[編集] コメント
まず、私(田英)の意見を申し上げます。そもそも引用元となった事典は続柄と略歴を記しているものであり、木村昌福記事についても醍醐忠重記事についても、到底「転載」と指摘しうる記述ではない、と判断しております。これが転載/著作権侵害ということを重ねて主張されるのであれば、Wikipedia‐ノート:著作権で広く議論ができるようにしていただきたいと考えます。そもそも基点から異常に感じていたことですが、実書を挙げて指摘をされた利用者:Ouverture氏、実書で追試されたという利用者:駆逐艦雪風氏は、なぜ自らの責任において該当記事の削除依頼を行なわず、KASAGIさんを非難する書き込みをあちこちで行なったのでしょうか。さらにもう一方、実書を確認されたかどうかも判らない利用者:富士の白雪さんは、何を根拠に私のページにKASAGIさんを非難する書き込みをされたのでしょうか。理解に苦しむところですが回答をいただけるよう呼びかけたいと考えております。--田英 2006年12月11日 (月) 13:28 (UTC)
- いちごミルクです。上のほうでもコメントを記載しましたが、今回の場合、KASAGIさんの記述には、コピペを疑われる箇所は皆無であり、著作権違反には該当しないと私は考えます。どこが著作権に抵触するのかOuvertureさん(ウィキブレイク中のようですが)と駆逐艦雪風さんに指摘していただきたいと思います。--いちごミルクorder 2006年12月11日 (月) 13:55 (UTC)
- 確認が13日になるとのことでしたので、今日まで暫くWikipediaより遠ざかっておりました。返答が遅れまして申し訳ありません。私がバカバカしいと感じたのは、まともに議論する意図もなく、おそらくは逆恨みによる言い掛かりとしか思えない本件についていちいちまじめに対応することの空しさについてであり、しかもそんな横暴が堂々と罷り通りつつあった現状にWikipediaという存在に対する不信を持ったからで、決して田英さんに対するものではありません。お忙しい中、貴重な時間と労力を使ってまで確認を取られたとのこと、本当に頭が下がります。おかげさまで、疑いが晴れたことと思います。あれほど転載だと喧伝していたので、さぞ似ているのであろうと思っていましたが、どこが一字一句まで同じなのか、拍子抜けとはこのことです。所詮は、為にする批判であったのでしょう。これだけ人に迷惑をかけ、手間を取らせた以上、真摯な反省の弁と明確な謝罪の言葉がない限り、Oventure、駆逐艦雪風、富士の白雪の三氏には何らかの制裁措置が必要かと思いますが。また、H教授の名を騙った疑惑もあります。--KASAGI 2006年12月13日 (水) 12:54 (UTC)時系列に合わせるためにKASAGIさんが「海軍軍人記事」において12月13日 (水) 12:54 (UTC)に発言されたコメントをこちら最下部まで移動させていただきました。--いちごミルクorder 2006年12月13日 (水) 17:48 (UTC)
[編集] 公のコメント依頼へ
著作権侵害についてのコメントをいただけるように利用者:Ouverture氏、利用者:駆逐艦雪風氏、利用者:富士の白雪氏には呼びかけておりましたが回答をいただけないばかりか、別アカウントとして活動されているものと疑われる行為をされていましたので、公のコメント依頼へ提出することとなりました。--田英 2006年12月15日 (金) 16:04 (UTC)
- どんどん利用者:Ouverture氏周辺の疑惑が白日の下に晒されつつありますね。彼のIP時代を含めた言動を追っていくと、ことさらに有名人との知己を強調したり、大学教授であることや司法書士資格をもつことをちらつかせ、法的脅迫を試みたりと、何らかの権威を背景に相手の屈服を迫る手法を多用している様が見て取れます。多重アカウントで自らの支持者を多く見せかける手法なども同じです。私が最初に同一人物であろうとした予測は当たっていましたね。今となってはどれもブラフだったのだろうと思いますが、それにしても悪質極まる利用者です。訴訟に踏み切ったというIP氏との件でも、O氏側にも問題があると見えたのに、IP氏が一方的に袋叩きにされている有様は異様でした。この件では私は別の紛争での当事者であったことや、訴訟にまで発展していたことで、正直なところ後難を恐れて傍観する態度を取りましたが、これも私がO氏の術中に陥っていたことになるのでしょう。彼との対立の中で、自らには一片のやましさもなかったとはいえ、こちらにも訴訟を起こす気ではないかという恐怖もありました。今となっては、本当に訴訟を起こしたのかも定かではありませんし、冷静に考えればこの程度のことで警察が捜査するとも思えません。IP氏には安心するように言ってあげたいですね。--KASAGI 2006年12月17日 (日) 13:07 (UTC)
[編集] CU依頼へ
Wikipedia:コメント依頼/Ouvertureを通じて他にも氏のソックパペットと思われる利用者を追加登録していき、第三者のコメントとしてCU依頼すべきであるとの提案をいただいたので、Wikipedia:CheckUser依頼/Temp#Ouverture氏関連に提出することとなりました。--田英 2006年12月17日 (日) 16:59 (UTC)