珠姫
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珠姫(たまひめ、1599年(慶長4年) - 1622年8月9日(元和8年7月3日))は、徳川秀忠の次女で、前田利常の正室である。母は崇源院。幼名、子々(ねね)。戒名、天徳院殿乾運淳貞大禅定尼。法号天徳院。
慶長5年(1600年)、前田利常と結納をかわす。翌慶長6年(1601年)結婚。慶長18年(1613年)長女 亀鶴を出産。慶長19年(1614年)頃に次女 小媛を出産。元和元年(1615年)長男光高を出産。元和3年(1617年)2男利次を出産。元和4年(1618年)3男利治を出産。元和7年(1621年)、4女 富(後八条宮智忠親王妃)を出産。元和8年(1622年)5女 夏の出産4ヶ月後に病没。法号天徳院。
同元和8年、高野山に菩提寺として天徳院が、翌元和9年(1623年)夏の没後に金沢市に天徳院が共に前田利常によって建立された。
[編集] エピソード
夫・利常とは政略結婚であったが非常に仲の良い夫婦であったと伝わる(上記の子供の数からもそれは伺える)。しかし、外様筆頭の前田氏に幕府の情報が筒抜けになることを恐れた珠姫の乳母は、夏姫の出産後母体の調子が宜しくないと言う理由を付けて、珠姫を隔離してしまった。事情を良く知らない珠姫は利常の御成が無くなったのを寵愛が薄れたからと誤解し、衰弱死してしまった。臨終の床に強引に駆けつけた利常は珠姫の遺言からすべての事情を悟り、その怒りから珠姫の乳母を蛇攻めにして処刑してしまったという。(参考文献『殿様の通信簿』ISBN 4022501898)