王銘エン
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王 銘琬 (おう めいえん、Wang Ming wan 1961年11月22日 - )は、囲碁棋士。台湾台南市出身、日本棋院所属、九段、瓊韻社の富田忠夫名誉九段門下。プロ棋士鄭銘瑝、鄭銘琦は実弟。主な獲得タイトルに本因坊2期、王座1期など。
厚み重視の棋風だが、自ら「ゾーンプレス」と名付けた序・中盤理論に基づく独特な中央重視の戦法を取り、しばしば独特な感覚を見せ「銘琬ワールド」とも呼ばれる。またTV番組での解説や著書などで見せるユーモアあふれる喋り口も人気が高い。
また、「趣味は女房孝行」と公言した愛妻家でもある。妻の劉黎児さんは、2004年まで台湾有力紙の東京特派員を務め、その後フリーのエッセイストに。政治経済から下着泥棒の話まで硬軟の話題を台湾に送る。2005年夏、初の小説「棋神物語」(台湾から来日して囲碁棋士になった少年の物語)を出版。夫婦そろって台北で記者会見し各紙で大きく取り上げられた。
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[編集] 経歴
[編集] 年譜
- 1975年11月来日。日本棋院院生となる。
- 1977年、入段。
- 1992年、九段。
- 2000年、趙善津より本因坊位奪取。
- 2001年、張栩を退けて本因坊防衛。
- 2002年、加藤正夫に本因坊位を奪われる。趙治勲より王座位奪取。
- 2003年、張栩に王座位を奪われる。
[編集] タイトル歴
- 本因坊 2000-2001年
- 王座 2002年
[編集] その他の棋歴
国内棋戦
- 留園杯争奪戦 優勝 1979年
- 棋聖戦 各段戦優勝
- 三段戦 1980、1981年
- 六段戦 1986年
- 七段戦 1987年
- 八段戦 1991年
- 九段戦 1993年
- NEC新鋭トーナメント 優勝 1989、1991年、準優勝 1986、1987年
- 新人王戦 準優勝 1987年(決勝で依田紀基に1-2)
- NHK杯 準優勝 1991年(決勝で依田紀基に敗れる)
- 竜星戦 準優勝 2002年(決勝で小林光一に敗れる)
- 棋聖戦リーグ2期、名人戦リーグ9期、本因坊戦リーグ7期
国際棋戦
- 富士通杯 ベスト8 1989、1996、2005年
- 応昌期杯 ベスト4 2000年、ベスト8 2004年
- トヨタ&デンソー杯 ベスト8 2002年
- 中環杯 ベスト8 2004年、2005年
- CSK杯アジア囲碁対抗戦(台湾チームで出場)
- 農心辛ラーメン杯(日本チームで出場)
- 2000年 0-1(×崔哲瀚)
- 2005年 0-1(×李昌鎬)
[編集] ゾーンプレス戦略
「ゾーンプレス」呼ばれる戦法は、「棋道」誌1998年7-12月号の連載「新おすすめ正統思考法」で公表された戦法で、その後NHK囲碁講座、単行本等で紹介され、独特の理論が人気を集めた。従来の布石理論の、広いところから打つという基本原則をベースに、サッカーのゾーンプレス戦術のイメージを取り入れてさらに理論的な幅を持たせたものと考えられ、模様の幅(ゾーン)、相手の石への圧力(プレス)といった概念の有機的な結びつきによって「盤上のすべての石が働く」状態を目指したものである。実戦においては実利よりもゾーンを重視した場合に、斬新な着手として現れることがあり、実験的な手法と見られる場合もある。
[編集] エピソード
- 2000年の本因坊戦挑戦手合第1局(対趙善津)で、シチョウアタリを見落として中央の種石が抜けるという歴史的大見損じを演じた。当人は数分考えて笑いながら投了、2日制の碁が1日目で終了という珍記録を作った。59手での終了は挑戦手合史上最短記録。しかしこのことに動ずることなく後を戦い、4-2で見事本因坊を奪取した。
[編集] 著作
- 『銘琬流 石の動き「広い方から押し込む」』日本放送出版協会 2002年
- 『ゾーンプレスパーク』日本棋院 2003年
- 『ヨセ・絶対計算—あなたは「一目」を理解していますか? (王銘琬これを伝えたい 1)』毎日コミュニケーションズ 2004年
- 『我間違える ゆえに我あり (王銘琬これを伝えたい 2)』毎日コミュニケーションズ 2005年
- 『読みの地平線—最小限の読みで強くなる (王銘琬これを伝えたい 3)』毎日コミュニケーションズ 2005年
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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