王昶
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王昶(おうちょう、188年?-?)は、三国時代の魏の武将。字は文舒。長男に王渾、甥に王沈がいる。
并州太原郡晋陽の人。三征の一人。曹丕の代には散騎侍郎、曹叡の代には楊烈将軍と昇進を続けた。司馬懿と仲が良かったため、彼がクーデターを起こして実権を掌握すると、征南将軍、司空と昇進した。
司馬昭の代には軍を率いて呉に侵攻したが、丁奉の反攻を受けて敗退している。その後も司馬一族に仕えて軍事面で大いに功績を立てたため、死後に穆公を追贈された。阮籍と会ったとき、彼の人物の大きさに感嘆したという逸話が残っている。
また、文学者としても優れた人物で、『治論』や『兵書』などの著書を残している。