潘璋
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潘璋(はんしょう、177年-234年)は、三国時代の呉の武将。字は文珪。子は潘平。
東郡発干の人。孫権に仕え黄祖討伐では蘇飛を生け捕りにするという大功を立てた。219年の関羽討伐では呂蒙に従って参戦し、朱然と協力して関羽を生け捕りにする(関羽を実際に生け捕ったのは、潘璋の部下・馬忠である)。
222年、夷陵の戦いにも参戦する。三国志演義においては、この夷陵の戦いで関羽の亡霊に怯んだところを関興に斬り殺されたことになっているが、これは演義の創作である。正史においては、潘璋は陸遜に従って活躍し蜀軍を撃退している。その後は南郡に攻めてきた魏の夏侯尚を撃退するなど活躍し、その功を評されて右将軍にまで昇進した。
金銭に執着する強欲な人物で、身分不相応な服装を好んだり、豊かな役人や兵士を殺害し財産を没収するなどの不法行為をたびたび起こした。しかし孫権は潘璋の功績を惜しんで罪を問わなかったと言われる。