滝山城
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通称 | |
城郭構造 |
連郭式山城 |
天守構造 |
なし |
築城主 |
大石定重 |
築城年 | |
主な改修者 | |
主な城主 |
大石定重、大石定久、北条氏照 |
廃城年 | |
遺構 |
土塁、堀、井戸 |
滝山城(たきやまじょう)は、現在の東京都八王子市丹木町にあった戦国時代の城である。
本丸、中の丸、千畳敷跡空堀などの遺構が残っており、国の指定史跡(昭和26年(1951年)6月9日指定)である。大部分が東京都立公園「滝山自然公園」となり桜の名所である。多摩川と秋川の合流点、加住丘陵の複雑な地形を巧みに利用した天然の要害で関東随一の規模を誇ったという。
1521年(永正18年)山内上杉氏の重臣で、武蔵国の守護代大石定重が築城し、高月城から移ったという。1546年(天文15年)、河越の夜戦(河越城の戦い)で北条氏康が扇谷上杉氏を滅ぼし、山内上杉氏の勢力を武蔵から排除すると、大石定久は北条氏康の三男・氏照を娘婿に迎え、事実上、大石氏は北条氏の軍門に下った。1558年(永禄元年)頃、北条氏照は城の大改修を実施した。1569年(永禄12年)、小田原攻撃に向かう武田信玄軍2万が滝山城の北側の拝島に陣を敷き、別働隊の小山田信茂隊1千が小仏峠から進入、北条方は廿里で迎撃したが一蹴され(廿里古戦場)、滝山城三の丸まで攻め込まれ、落城寸前に追い込まれたが、2千の寡兵で凌いだ。しかしこの戦いは、滝山城の防御体制が不十分であるとして、八王子城を築城し、移転するきっかけとなったと言われている。