浅野長賢 (旗本)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浅野 長賢(あさの ながかた、生年不詳 - 貞享4年5月5日(1687年6月14日))は、江戸時代前期の幕府旗本。赤穂藩浅野家の分家。
松平清昌の子として誕生。赤穂藩主浅野長直の養子に入ったが、まもなく実子浅野長友が誕生したので、次男に落とされた。承応元年(1652年)7月26日にははじめて将軍徳川家綱に拝謁。寛文11年(1671年)3月5日に長友から3500石を分与されたため、旗本の寄合に列した。貞享3年(1686年)12月6日に隠居して、その家督は養子の浅野長武(赤穂浅野家重臣大石良重の子、母が浅野長直の娘)に譲った。貞享4年(1687年)に死去。享年54。