池田斉敏
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池田 斉敏(いけだ なりとし、文化8年4月8日(1811年5月29日) - 天保13年1月30日(1842年3月11日))は備前国岡山藩の第7代藩主。父は薩摩国薩摩藩主島津斉興(斉敏は次男)、母は池田斉邦の娘弥姫、島津斉彬の同母弟。官位は従四位下、伊予守、左近衛権少将。
1811年4月8日生まれ。幼名は治五郎。丈之助。初名は池田為政。先代藩主・池田斉政の嫡子であった池田斉輝が23歳で早世したため、1826年10月に斉政の養嗣子に迎えられた。1829年2月7日、斉政の隠居により家督を継いだ。1842年正月晦日、32歳の若さで死去した。嗣子が無く、後を養嗣子の池田慶政(奥平昌高の四男)が継いだ。
墓所は岡山市円山の曹源寺。
[編集] 関連項目
- 池田氏〔宗家〕(岡山藩7代)藩主
- 1829~1842
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- 先代:
- 池田斉政
- 次代:
- 池田慶政