永井直養
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永井 直養(ながい なおのぶ)は、江戸時代の大名。大和新庄藩の第6代藩主。
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時代 | 江戸時代後期 | |||
生誕 | 享和3年(1803年)6月 | |||
死没 | 嘉永7年閏7月14日(1854年9月6日) | |||
別名 | 伝八郎(通称) | |||
戒名 | 仁翁爛義勇恭院 | |||
官位 | 従五位下、信濃守、播磨守 | |||
藩 | 大和新庄藩主 | |||
氏族 | 永井氏 | |||
父母 | 父:永井直方、母:北条氏昉の娘 | |||
兄弟 | 弟:永井直柄、永井直景 | |||
妻 | 正室:松平信明の娘・睦 | |||
子 | 養子:永井直幹 |
享和3年(1803年)6月、第5代藩主・直方の長男として生まれる。文政8年(1825年)4月10日、父の隠居により家督を継いで藩主となる。文政10年(1827年)と嘉永元年(1848年)に日光祭祀奉行となる。天保の飢饉においては倹約を率先して行ない、領民に対しては出稼ぎを禁止するなどした。嘉永3年(1850年)10月、養子の直幹に家督を譲って隠居し、嘉永7年(1854年)閏7月14日に死去。享年52。