武田信武
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武田 信武(たけだ のぶたけ、1292年(正応5年)-1359年8月7日(正平14年/延文4年7月13日))は、南北朝時代の武将。甲斐武田氏の第10代当主。第9代当主・武田信宗の子。
通称は武田彦六。父・信宗の後を受けて当主となる。1332年、幕府側に与して討幕軍と戦ったが、後に討幕側に寝返った。足利尊氏に仕えてその寵愛を受け、尊氏が天竜寺を造営しようとしたとき、その造営に協力した。1358年の尊氏死後はその子・足利義詮に仕え、尊氏時代の功績を賞されて安芸国や甲斐の守護職を与えられ、官位も陸奥守、伊豆守、甲斐守、修理亮、左馬頭などを叙任したうえ、幕府の要職である引付衆にも任じられた。翌年に死去し、後を子の武田信成が継いだ。
和歌に優れた教養人でもあり、『新千載和歌集』には信武の作品が修められている。