横瀬貞隆
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横瀬 貞隆(よこせ さだたか、享保3年(1718年) - 明和元年12月23日(1765年1月14日))は、江戸時代の高家旗本。高家旗本横瀬貞国の長男。通称は又次郎、左衛門。官位は従四位下侍従・駿河守。
享保15年(1730年)4月1日将軍徳川吉宗に御目見する。享保19年(1734年)5月3日家督を相続する。宝暦2年(1752年)12月1日高家職に就き、従五位下侍従・駿河守に叙任する。後に従四位下に昇進する。明和元年(1764年)12月23日死去、47歳。なお、賀茂真淵と交遊関係にあり、和歌などを学んだ。
正妻は高家旗本織田長能の娘。長男貞幹ら一男二女あり。長男貞幹の早世により、実弟貞臣が家督を相続した。
- 高家横瀬家第3代当主
- 1734~1764
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- 先代:
- 横瀬貞国
- 次代:
- 横瀬貞臣