梵字
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梵字(ぼんじ)はインドで使用されるブラーフミー文字の漢訳名である。ブラーフミーは「ブラフマン(梵)の創造した文字」を意味する。 また、単に「梵語(サンスクリット)を表記するための文字」とも解される。
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[編集] 概要
一見規則性の無い文字に見えるが、子音字と母音字があり、子音字に母音がつく場合子音字に点画を書き足す形になる。子音字のみだと子音+[a]の音を表す。一字一字が諸仏諸尊をあらわしており、ひとつの梵字が複数の仏の種子を表すことがほとんどである。一つの仏でも金剛界、胎蔵界で違う文字を使う場合もある(例:大日如来:胎蔵界:a/金剛界:vam)。
[編集] 歴史
インドでは紀元前後にセム系文字に由来するブラーフミー文字とカローシュティー文字の2系統がある。このうちの前者がグプタ系文字から発達したシッダマートリカー(梵字)となり、さらに7世紀頃ナーガリー文字に発達、10世紀にはデーヴァナーガリー文字として固定した。
6世紀ごろにインドで流行し、数多くの梵字で書かれた文献が残っている。ただこの頃のインドにまだ紙はなく、ほとんど貝葉に書かれている。現在、サンスクリットの筆記・印刷に主に用いられるのはデーヴァナーガリーである。
[編集] 日本への伝来
日本で梵字と言った場合は、仏教寺院で伝統的に使用されてきた「悉曇文字」(しったんもじ)を指すことが多い。これは上述のシッダマートリカーを元とし、6世紀頃に中央アジアで成立したと見られる。
日本には仏教伝来と共に漢訳された経典と共に伝来したが難解なために、文字自体を仏法の神聖な文字として崇めた。天平期には遣唐使や道璿、鑑真らの唐僧が悉曇梵語に堪能で、徐々に広まっていく。大安寺で唐僧仏哲と天竺僧菩提僊那が悉曇梵語の講義を行うと、日本人僧にも悉曇梵語の読み書きが浸透していく。
平安時代に入ると、最澄、空海らが悉曇梵語の経典を大量に唐から持ち帰る。彼らにより、真言として梵字は一般の人々の間にも広まった。
以上の経緯から、日本に置いては、梵字は単なる文字ではなく、それ自体に力がある霊的な神聖文字である、と信じられることになった。
[編集] ア字
全ての梵字の中で基本となるのが右の『ア字』である。師僧から梵字を教わるときも、通常この字から始めるが、この字には梵字に必要な点画が全て含まれているため、この字を習得するには一生かかるとも言われる。この字だけはあらゆる諸仏諸尊の代行となることが出来る、トランプで言うジョーカーのような存在である。また全ての梵字はこの文字から出生すると昔から説かれている。
[編集] 外部リンク
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