桜井速人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
[[画像:{{{image}}}|200px]] |
|
基本情報 | |
---|---|
本名 | 桜井速人 |
あだ名 | 野生のカリスマ |
階級 | PRIDEライト級(~73㎏) |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1975年8月24日 |
出身地 | 茨城県龍ケ崎市 |
命日 | |
死地 | |
スタイル | |
プロ総合格闘技戦績 | |
総試合数 | 8戦(PRIDE)?戦(修斗) |
勝ち | 5勝(PRIDE)?勝(修斗) |
KO勝ち | 1KO(PRIDE)?KO(修斗) |
一本勝ち | 1(PRIDE)?(修斗) |
敗け | 3(PRIDE)?(修斗) |
引き分け | 0(PRIDE)?(修斗) |
無効試合 | 0(PRIDE)?(修斗) |
桜井速人(さくらい はやと、1975年8月24日 - )は日本の総合格闘家。身長171 cm、体重72.9 kg。MACH道場所属。リングネームは桜井“マッハ”速人。道場仲間から「ガッツさん」と呼ばれていたことがある。理由は「ガッツ石松なみに天然だから」(来歴を参照)。
目次 |
[編集] 来歴
中学・高校を通じて柔道を学ぶ(高校柔道部を引退後空手を習い始める)。
高校卒業後はアルバイトをしながら空手の修行をしていたが修斗に興味を覚え、教えを請うために家を飛び出し上京。しかし間違ってシュートボクシングの道場に入門。暫くの間気がつかずアマチュアのシュートボクシングの選手として活躍、アマチュアの大会で優勝しその後修斗に転向、木口レスリング道場に入門する。
一年間に12台も携帯電話を紛失したことがあるほど、天然ぶりは際立っている。。
[編集] 修斗時代
96年10月4日、修斗プロデビュー(ウェルター級)。宇野薫を下し初陣を勝利で飾る。
97年階級を上げ、その翌年ミドル級王者に就く。しかし01年8月にアンデウソン・シウバに破れタイトルを奪われる。
1999年に、UAEで行われたアブダビコンバットに参戦し、無差別級準決勝で自身より40キロも重いリコ・ロドリゲスと対戦し苦戦を強いられるが、見事なヒールホールドで一本勝ちを収めた。決勝で敗れ準優勝に終わったものの、軽量級でありながら無差別級での活躍に、世界中のファンから賞賛を浴びた。
[編集] PRIDE武士道時代(現在)
フジテレビの中継では「野生のカリスマ」というキャッチフレーズで呼ばれている。
2003年12月31日、男祭り2003で高瀬大樹に判定勝ち。
2004年2月15日、「PRIDE武士道 -其の弐-」でホドリゴ・グレイシーに判定負け。
2004年7月19日、「PRIDE武士道 -其の四-」でファンキー・ブラディ・フィンクに一本勝ち。
2004年10月14日、「PRIDE武士道 -其の伍-」でクラウスレイ・グレイシーに一本負け。
2005年5月22日、「PRIDE武士道 -其の七-」でミルトン・ヴィエイラに判定勝ち。
2005年9月25日、「PRIDE武士道 -其の九-」でジェンス・パルヴァーにKO勝ち。
2005年9月25日、「PRIDE武士道 -其の九-」でヨアキム・ハンセンに判定勝ち。
2006年4月9日、土木作業員に顔を殴られ左目の下の骨を折り、全治一ヶ月のケガを負った。
2006年6月4日、PRIDEライト級ワンマッチでオラフ・アルフォンソにKO勝ち。
2006年8月26日、PRIDEライト級ワンマッチでルシアノ・アゼベドにTKO勝ち。
[編集] 主な獲得タイトル
- PRIDE GP 2005 ライト級トーナメント 準優勝
- 第4代修斗ミドル級世界王座
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 日本の総合格闘家 | 1975年生 | 茨城県出身の人物 | 格闘技関連のスタブ項目