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桑山 重晴(くわやま しげはる、大永4年(1524年)? - 慶長11年10月1日(1606年11月1日))は、戦国時代の武将。江戸時代前期の大名で紀伊和歌山の領主。茶人。桑山以則の子。官位は従五位下。修理大夫。子に桑山一重、桑山元晴、桑山貞晴。孫に桑山一晴、貞晴らなど。
はじめ豊臣秀長に仕え、1583年の賤ヶ岳の戦いで武功を挙げたことから但馬国竹田に城と所領を与えられた。1585年、紀伊雑賀攻めの後に秀長が紀伊の領主になると、和歌山城代に任命され、3万石の所領を与えられた。茶人でもあり、千利休から茶の湯を学んでいる。
1596年に出家する。1606年10月1日に83歳で死去した。墓所:京都大徳寺の清泉寺。生年には1527年説もある。