栗崎道有
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栗崎 道有(くりさき どうう、1661年/1664年 - 1726年)は、江戸時代中期の蘭学医。諱は正羽(まさゆき)。号は道仙。祖父は栗崎道喜。父は栗崎正家。道有は栗崎家世襲の号で、「露」を意味するオランダ語dauw(英dew)に由来し、時に道宇とも書かれる。(どうゆう)は誤りである。
道有は、寛文4年(1664年)長崎で生まれたとされるが、生年についは寛文元年(1661年)という説もある。祖父の道喜が南蛮流の外科医術を取得し、以後代々南蛮流の外科医を継いだ。その後道有は、オランダ流の外科を習得している。元禄4年(1691年)、道有は江戸へ出て幕府の官医となった。子孫には法眼に任じられたものもいる。元禄14年(1701年)、浅野内匠頭長矩が江戸城内で吉良上野介義央を斬りつけた際には、上野介の治療を行っている。元禄15年(1703年)、上野介が赤穂浪士に斬られた際には、首と胴体の縫合を行ったという。
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