栗山利章
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栗山利章(くりやま としあきら、1591年2月15日(天正19年1月22日) - 1652年4月10日(承応元年3月2日))は、江戸時代前期の黒田氏の家臣。黒田如水の片腕として活躍した栗山利安の子である。黒田騒動で有名な人物であり、通称の大膳の名で人口に膾炙している。
福岡藩の第2代藩主・黒田忠之と対立し、幕府に「忠之に謀反の疑いがある」と訴えた。これが有名な黒田騒動である。幕府による裁決の結果、「利章は乱心した」ということで彼を陸奥国南部藩預かりとし、黒田氏は改易は免れた。
この史実を下敷きにして、利章を忠義の人物であるとして描いたのが森鴎外の『栗山大膳』である。
晩年は実質流罪ではあったが、百五十人扶持であり、南部藩も手厚く待遇した。 盛岡在府中は、同様に対馬藩から南部藩預かりとなった無方規伯(方長老)とも親交があり、共に盛岡城下の文化振興に寄与し、子孫及び臣下は南部藩に定着した。 墓所は旧南部藩盛岡城下、現在の岩手県盛岡市にあり、無方規伯による忠節を讃えた碑がある。