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柳生宗冬(やぎゅうむねふゆ、慶長18年(1613年)? - 延宝3年9月29日(1675年11月16日))とは、江戸幕府の征夷大将軍、4代徳川家綱の剣術の兵法師範。柳生宗矩の三男で柳生三厳(十兵衛)の弟。東京都練馬区桜台の広徳寺に墓がある。
慶安3年(1650年)柳生家の家督を三厳から引き継ぐ。明暦3年飛騨守となる。寛文8年(1668)年柳生藩の大名となる。(大和国山辺郡加増のため)
墓の調査により木製(黄楊・蝋石)義歯(総入れ歯)が発見される。
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