本覚
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基本教義 |
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縁起、四諦、八正道 |
三法印、四法印 |
諸行無常、諸法無我 |
涅槃寂静、一切皆苦 |
人物 |
釈迦、十大弟子、龍樹 |
如来・菩薩 |
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部派・宗派 |
原始仏教、上座部、大乗 |
地域別仏教 |
経典 |
聖地 |
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本覚(ほんがく)とは、本来の覚性(かくしょう)ということで、一切の衆生(しゅじょう)に本来的に具有されている悟り(=覚)の智慧(ちえ)を意味する。如来蔵(にょらいぞう)とか仏性をさとりの面から言ったものと考えられる。
用語としては金剛三昧経などに見られるが、後代の論書のように精緻な理論付けはない。
爾の時尊者大衆に囲遶され、諸大衆の為に一味真実無相無生決定実際本覚利行と名づくる大乗経を説けり。若し是の経を聞き、乃至一四句の偈を受持すれば、是の人、則ち仏智地に入るを為し、能く方便を以て衆生を教化し、一切衆生の為に大知識と作らん。 序品第一
理論付けされたものとしては、真諦(しんたい)訳『大乗起信論』の用例が基本的なものである。そこでは、現実における迷いの状態である「不覚」(ふかく)と、修行の進展によって諸々の煩悩(ぼんのう)をうち破って悟りの智慧が段階的にあらわになる「始覚」(しかく)と相関して説かれている。迷いの世界にいながら悟りの智慧のはたらきが芽生えてくる過程の中で、そのような智慧のより根源的なありかたとしての本覚という観念の存在が考えられた。唯識(ゆいしき)思想における阿頼耶識(あらやしき)の種子(しゆうじ)の本有(ほんぬ)・始有の考えかたから発想されたと考えられ、われわれの日常心の根源的なありかたを説明する術語である。
日本の本覚思想では、心の絶対的なあり方(心真如(しんしんによ))と同じと考えられ、「本覚・真如」と並べることもある。