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木造長政(こづくりながまさ、永禄4年(1561年) - 慶長15年(1610年))は日本の戦国時代から江戸時代にかけて活躍した武将。伊勢の戦国大名北畠晴具の孫で木造具政の嫡男。
はじめは織田信雄に仕えていたが、信雄が小牧・長久手の戦い後に没落すると、織田秀信の家老となった。
1600年の関ケ原の戦いでは秀信に徳川家康につくように進言するが容れられず、秀信は岐阜城にて西軍に与し、東軍の福島正則や池田輝政と戦い、惨敗してしまう。
その後は福島正則に仕えたという。