木村庄之助 (20代)
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20代木村庄之助(20だい きむらしょうのすけ、1876年12月3日 - 1940年3月9日)は、大相撲の立行司。本名:後藤子之吉。栃木県出身。
所属は伊勢ノ海部屋、のち出羽海部屋。明治後期~昭和初期の大相撲界を支えた名行司で、行司史上屈指の名人と言われている。名行司の証とも言われる「松翁」の称号を受けている。
彼が立行司に昇進する前、3代式守錦太夫を名乗っていた時代には、5代式守与太夫(本名:鬼頭多喜太、のち19代木村庄之助)、3代式守勘太夫(本名:平木兼次郎、のち14代式守伊之助)と共に「名行司三太夫」と呼ばれていた。
21代木村庄之助は弟弟子にあたる。また、22代木村庄之助(なお、彼は20代庄之助のことを非常に尊敬しており、「木村錦太夫」という名を名乗っていたこともある)の能力を買っており、自らの弟子であり養子でもある木村松尾(後の28代木村庄之助)を彼の門下に推薦している。
晩年は大横綱・双葉山の初期を裁いた。昭和15年春場所後、胃ガンにより急死したのは惜しまれる。