木内重四郎
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木内 重四郎(きうち じゅうしろう、慶応1年12月10日(1866年1月26日) - 大正14年(1925年)1月9日)は、千葉県山武郡出身の官僚政治家。
1888(明治21)年東京帝国大学法科大学政治学科を卒業して官界に入る。法制局参事官試補、農商務省商工局長、統監府農商工部長官等を歴任した後勅選の貴族院議員となり、1916(大正5)年官選の京都府知事に就任した。
磯路夫人は三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の次女で、重四郎・磯路夫妻は3男2女をもうけた。長男・良胤は外交官で、次男・信胤は経済評論家として有名。また、次女・登喜子は渋沢栄一の嫡孫で日本銀行総裁や大蔵大臣を務めた渋沢敬三と結婚した。良胤の長男(すなわち重四郎の孫)・昭胤も外交官。
義兄の加藤高明(加藤夫人・春路は岩崎弥太郎の長女)が憲政会の総裁を務めたことから、木内も憲政会に所属していた。
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カテゴリ: 日本の国会議員 (1890-1947) | 日本の官僚 | 京都府の政治家 | 都道府県知事・市町村長 | 1866年生 | 1925年没