朝田理論
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朝田理論とは、部落解放同盟中央本部の第2代中央執行委員であった朝田善之助が確立させた部落解放運動に関する理論。朝田ドクトリンとも呼ばれる。1956年に部落解放同盟第11回大会提出された「差別に対する命題」、および1961年の第16回大会で打ち出された「差別の本質」などで広められ、1971年の部落解放同盟全国大会で定式化された。
[編集] 内容
- 部落民は市民的権利が保障されておらず、主要な生産関係から除外されている。
- 部落民は労働者階級の低賃金などのしずめとなっている。
- 差別観念は空気のように社会意識として一般大衆の意識の中に存在している。
[編集] 朝田理論批判
朝田理論については、現在では批判が多い。理由としては、朝田理論の影響が部落解放運動に入り込むようになった頃から、部落解放同盟の武力闘争路線が激化し、八鹿高校事件などの凄惨な事件が目立つようになったという歴史的経緯、および、朝田理論には「部落民以外は全て差別者」「そのため、部落解放闘争は永久に続けなければならない」とも読み取れる過激な排他的、闘争的側面を持つため、この理論を標榜していては部落問題は解決されないというのが今日の一般的な認識である。