昭和三陸地震
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昭和三陸地震(しょうわさんりくじしん)は、1933年3月3日午前2時30分ごろ、三陸沖で起きたマグニチュード8.1の地震。
これも明治三陸地震の時と同じく地震による被害は少なかったものの、津波被害が甚大であった。
この地震の被害は死者3068名、家屋流出4034戸、倒壊1048戸に及んだ。
とくに被害が激しかった場所は岩手県の田老村(後の下閉伊郡田老町、現宮古市)で、 人口の42%に当たる763人が亡くなり(当時の村内の人口は1798人)、家屋も98%に当たる358戸が全壊した。 津波が襲来した後の田老村は家がほとんどない更地同然の姿となっていた。
現在、田老町には1982年までに高さ10メートル、総延長2433メートルの巨大な防潮堤が築かれた。 1958年に完成した1期工事の防潮堤は、1960年5月23日に発生・来襲したチリ地震津波の被害を最小限に食い止める事に成功した。 これにより、田老町の巨大防潮堤は全世界に知れ渡った。
この巨大防潮堤は、昭和三陸地震の大津波によって更地同然の姿になった田老町の防災の象徴となっている。
[編集] 外部リンク
- 岩手県田老町のホームページ - 「資料室」から「津波防災資料集」で、災害時の写真を見ることができる。(→岩手県宮古市のホームページ)