昇平丸
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昇平丸(しょうへいまる)は、幕末に薩摩藩が建造し、幕府に寄贈された洋式帆船である。
アメリカのマシュー・ペリー率いるアメリカ東インド艦隊の来航後に、幕府は老中阿部正弘の主導で大型船舶の建造禁止を緩和した。これを受けて1854年(安政元年)に薩摩藩は、島津斉彬の指導で桜島瀬戸村造船所にて独力で洋式帆船を建造した。竣工は1854年の12月で、幕府が建造した鳳凰丸に続いて日本で2番目の洋式軍艦である。昇平丸は斉彬の提案で外国船との区別のために日の丸を掲げさせた。
昇平丸は江戸に回航され、幕府に寄贈されて昌平丸と改名された。幕府に献上された後は品川におかれ、長崎海軍伝習所の練習艦として使用される。明治後は北海道開拓使の輸送などに使われ、1870年(明治3年)に松前沖で嵐に遭遇し、北海道に漂着して破船する。
- 建造:1854年
- 排水量:推定370トン
- 艦種:三本マスト木造パーク型帆船
- サイズ:長さ27メートル,幅約7メートル。
- 装備:大砲10門
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