日精
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日精
- 大石寺法主。以下にて詳述
- 自動車部品メーカー、日本精機 (Nippon Seiki Co., Ltd.) の略称
日精(にっせい、1600年-1683年11月5日)は、大石寺第17世法主。
明治以前までは、大石寺の中興二世とは日有・日精であった。その頃は、現代中興二世に立てられている日寛は、入っていなかった。その後、日亨の研究により、日寛が中興二世にたてられるに及び、外された。しかしながら、現今でも大石寺の復興の賢上人とも言われる。
なお、出生伝説では、父は、後陽成天皇、母は、近衛前子(中和門院)とされる。
[編集] 略歴
- 1600年(慶長5年)、誕生。
- 1632年(寛永9年)1月、江戸法詔寺において16世日就より法の相承を受ける。
- 1632年(寛永9年)1月21日、大坊に入る。大石寺第17世日精として登座。
- 1632年(寛永9年)、日興・日目両師300遠忌を奉修。大石寺に御影堂を建立。
- 1633年(寛永10年)、18世日盈に法を付嘱した。
- 1635年(寛永12年)10月6日、日興筆安国論問答を書写す。
- 1637年(寛永14年)、日精再往。敬台院日詔の推挙により公儀の年賀に乗輿を免許せらる。
- 1638年(寛永15年)、大石寺中門〔二天門〕を建立し総門を再建す。江戸下谷常在寺を再建す。
- 1638年(寛永15年)、本行院日優を化し、江戸常泉寺・下総中田真光寺大石寺末となる。
- 1645年(正保2年)、19世日舜に法を付嘱して隠棲した。
- 1656年(明暦2年)、御書要文2巻を編す。
- 1657年(明暦3年)5月8日、富士門家中見聞〔家中抄〕中巻を草す。
- 1660年(万治3年)4月8日、大石寺客殿安置日興御影を造立す。大石寺客殿安置大聖人御影を造立す。
- 1662年(寛文2年)12月18日、江戸下谷常在寺にて富士門家中見聞〔家中抄〕3巻を著す。
- 1669年(寛文9年)、寺社奉行の召により京本圀寺と越後本成寺の本末争いを決着す。
- 1680年(延宝8年)9月29日、甲斐杉山有明寺安置日有御影を造立す。
- 1683年(天和3年)11月5日、84歳で遷化(死去)した。
17世日精と18世日盈については、日盈を17世とし日精は18世とする説もある。ここには富士年表を元に日精を17世としたが「富士門家中見聞」によれば17世日盈、18世日精となっている。日蓮正宗の過去帳にも、日精は17世、日盈は18世と記されている。
前上人: 日就上人 |
大石寺住職一覧 | 次上人: 日盈上人 |