教部省
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教部省(きょうぶしょう)は明治初期の太政官制度のもと、宗教統制による国民教化の目的で設置された中央官庁組織である。
1872年(明治5年)3月14日に神祇省を改組し、民部省社寺掛を併合する形で設置。キリスト教の公認、社寺に於ける女人結界の解除など近代宗教政策を実施する一方で、平田派神道の影響を受けて祭政一致を目指し、三条教則による国民教化・大教宣布運動を行った。しかし、実績が揚がらず、1877年(明治10年)1月11日に廃止、機能は内務省社寺局へ引き継がれ、国家神道政策と相対的に重要度を落とした一般宗教政策に分離され、後者は文部省に引き継がれることとなった。
[編集] 教部卿など
- 教部卿
- 三条実愛(1872年)
- 大木喬任(1872年 - 1873年)
- 教部大輔
- 福羽美静(前任神祇大輔 -1872年)
- 宍戸璣(1872年 - 1877年)
[編集] 関連項目
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