成田文男
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
成田 文男(なりた ふみお、1946年10月2日 - )は、東京都足立区出身(秋田県生まれ)。昭和後期(1960年代後半-1980年代前半)のプロ野球選手(投手)。
目次 |
[編集] 来歴・人物
修徳高等学校から1965年に東京オリオンズに入団。速球と切れのいいスライダーを武器に、入団2年目から主力投手として活躍する。1968年から1970年にかけて3年連続20勝をマーク。この間1969年8月16日の対阪急ブレーブス戦でノーヒット・ノーランを達成。1970年には25勝でパ・リーグ最多勝に輝き、同年のロッテのリーグ優勝に大きく貢献した。
1973年には2度目の最多勝(21勝)に輝き、最多奪三振、ベストナインなどのタイトルも獲得。金田正一監督のもと、1974年の日本一にも貢献。木樽正明、金田留広、村田兆治とともに投手陣四本柱を形成する。
向こうっ気が強く、スマートな投球スタイルであったためか金田とは折り合いがあまりよくなく、しょっちゅう喧嘩していたという。400試合登板という記念の試合でも4回2/3で交代を命じられるなどした。
1980年、日本ハムファイターズに移籍。1981年のリーグ優勝には多彩な変化球を使いこなしてリリーフ投手として貢献した。1982年に引退。
現在は少年野球のコーチなどを務め、野球普及活動に尽力している。打撃の良い投手としても知られ、満塁2本を含む通算15本塁打をマークしている。
実名で登場している漫画、アストロ球団では、金田監督の指示により主人公の球一の頭部に死球を与えて退場させるという極悪なプレーを見せている。
ビートたけしと同じ中学であり、たけしが野球部に所属していたときの投手のレギュラーは成田であった。
[編集] 略歴
- 投打 右投右打
- 球歴・入団経緯 修徳高 - 東京・ロッテ(1965~79年)- 日本ハム(1980~82年)
[編集] 通算成績
- 登板 534
- 勝利 175
- 敗戦 129
- セーブ 8
- 完投 135
- 完封 32
- 勝率 .576
- 投球回 2781
- 奪三振 1657
- 防御率 3.20
[編集] タイトル・表彰
- 最多勝 2回(1970年、1973年)
- 最多奪三振 1回(1973年)
- ベストナイン 1回(1973年)
- ゴールデングラブ 1回(1973年)